こんにちは、ネコリテです。
HSPならではの繊細な視点で、旅の体験記を書いています。
今回は奈良県明日香村で、実際に訪れて感動した古墳3選をご紹介します。
古墳のイメージが覆った!
私が「古墳」と聞いて思い浮かべるのは、教科書に載っていた巨大な前方後円墳や、

もう少し規模の小さなもので言うと、「丘だと思ったら実は古墳だった」という墳丘。

正直なところ、古墳に対して「実物を見てみたい!」というほどの興味はありませんでした。笑
そもそも観光名所になるような古墳は巨大なので、現地では「ただの森や丘」にしか見えないというのも、足が向かない理由の一つでした。
唯一実物を見たいと思った古墳は、奈良県明日香村にある石舞台古墳(いしぶたいこふん)。

大きな岩が積み重なった独特なフォルムで、「蘇我馬子の墓」と言われている古墳です。
小学生の頃に読んだ漫画「火の鳥 ヤマト編」に登場し、いつか訪れてみたいと思っていました。
今回、明日香村への旅行が決まり、観光地を調べているうちに、この地域には多くの古墳があることを知りました。
しかも住宅街の中にあったり、真っ白な古墳があったり、さらには古墳内部へ自由に入れるものまであり、これまでの古墳のイメージが大きく変わりました。
今回は私の「古墳=つまらない」というイメージが覆った3つの古墳、石舞台古墳、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)、岩屋山古墳をレポートします。
実は中に入れるよ!「石舞台古墳」
明日香村の古墳巡り、1基目は石舞台古墳(いしぶたいこふん)へやって来ました。
入場料は300円、そしてペットの同伴禁止。

今回は犬連れだったので、家族とワンコは隣の公園で散歩してもらい、私一人で見学に行きました。
事前のリサーチではペットOKでしたが、ここ数年以内で禁止になったようです。
マナー違反が多かったのかな…。(悲

さあ、いよいよ念願の石舞台古墳とご対面です。
きれいに整備された丘の上に、ポツンと佇んでいます。
実はこの丘もひっくるめて全て古墳で、全体像としては大きな方墳(四角い古墳)となっています。

この有名な石造りは玄室(棺を納める部屋)で、本来は古墳の内部にあるものです。

江戸時代にはすでに覆っていた土がなく、玄室がむき出しの状態だったそう。
被葬者は不明ですが、7世紀初め(西暦600~630年頃)に作られたもので、蘇我馬子の墓とする説が有力です。

こちらは横穴式石室というタイプの古墳で、実際に横から中へ入ることができます。

古墳のタイプは時代によって、大きく2種類に分かれてるよ。
【竪穴式石室】古墳時代の前半。棺を納めたら、完全に石室を閉じる。一人用の古墳
【横穴式石室】古墳時代の後半~飛鳥時代。納棺後も玄室へ出入りが可能で、家族の棺を追加できる。便利だけど盗掘(墓荒らし)のリスクが高い

玄室への通路を羨道(せんどう)と言います。
例えるなら玄室が「寝室」で、羨道は「廊下」ですね。
玄室内部は思っていたより広く、高さは大人の3倍くらいありました。

重さ約77トンの天井石は圧巻で、その迫力に思わず見入ってしまいます。
これほど巨大な石が積み上げられ、1400年も崩れることなく保たれていることに驚き、当時の石工技術の高さに改めて感動しました。
まるで白亜の神殿「牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん」)
明日香村の古墳巡り、2基目は牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)です。
牽牛子(けんごし)とはアサガオのことで、古墳の形が八角形だったことから「あさがお塚」と呼ばれていたそう。
被葬者は斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)とする説が有力です。

飛鳥時代(7世紀頃)に造られた「八角墳」は、天皇陵の特徴とされているよ。そのことが「牽牛子塚古墳=斉明天皇陵」という根拠の一つになってるよ
車はアグリステーション飛鳥に駐車し、そこから牽牛子塚古墳までは徒歩10分ほどです。

駐車場から案内板に従って進むと、このようなフェンスが現れます。

こちらは「猪や鹿の侵入防止用の扉」なので、通過後は必ず閉めましょう。
さらに進むと逆Y字路がありますが、そのまま直進すると道を間違えてしまうので注意が必要です。

正しいルートは、案内板の場所でUターンするように山道へ進むこと。
私はうっかり直進してしまい、道路に出て迷ってしまいました。
他の観光客の方も同じく道路で迷っていたので、間違えやすいポイントのようです。
正しいルートを進むと、途中でこのような案内板が現れ、それが到着の目印になります。

そしていよいよ、牽牛子塚古墳とご対面!

まるでアート作品のような、白亜の古墳。
この古墳は令和に復元されたものですが、築造当時の姿を再現しており、石材は当時と同じ凝灰岩(白い石)を使用しています。
飛鳥時代にこのようなモダンな建造物があったことに驚きです。

階段を上った先では、内部の石室を見ることができます。


事前予約をすれば、石室内部を間近で見学できるそうです。
牽牛子塚古墳のすぐ近くには、越 塚御門古墳(こし・つかごもんこふん)があります。
※越はこのあたりの地名
越 塚御門古墳の被葬者は斉明天皇の孫娘、大田皇女(おおたのひめみこ)とされています。

斉明天皇は家族を大切にした人物とされており、娘と合葬されたことや、孫娘を近くに埋葬したことからも、その愛情の深さが感じられます。
ちなみに斉明天皇陵は奈良県高取町にもありますが、そちらは宮内庁が管理しているため、防護柵の外からの見学になります。(見た目は普通の森)
一方、牽牛子塚古墳は公式な天皇陵ではないため、発掘調査を十分に行うことができたり、一般公開されたりと、学術的にも観光的にも多くの恩恵があります。

明日香村には、天武天皇(斉明天皇の息子)とその妻・持統天皇(天智天皇の娘)の合葬陵があるよ。こちらも八角形の古墳だよ
完璧な設計美「岩屋山古墳」
明日香村の古墳巡り、3基目は岩屋山古墳です。
こちらは駅チカで住宅街にある古墳で、飛鳥駅からは徒歩5分くらいでした。
行き方は、飛鳥駅の駅舎から出ている通路を北へ進みます。(線路沿いに歩く感じ)

70mくらい進むと踏切が見えてくるので、ここを渡ります。

Y字路に案内板が見えたら、右の道へ進みます。(左は牽牛子塚古墳へのルートです)

すると右側に岩屋山古墳があります。

民家の裏山が古墳になっているという、斬新なロケーション。笑
古墳が数多く点在する古都ならではですね。

扉などはないので、古墳内部へ自由に出入りできます。

岩屋山古墳は切石積み(きりいしづみ)という、真っ直ぐに加工された石がすき間なく積み上げられた造りが特徴です。
このような構造の横穴式石室は岩屋山式と呼ばれ、奈良県内に同じ設計の石室が数ヶ所あります。
つまりここが「切石積みの古墳」のお手本。

<岩屋山古墳のここがスゴイ!>
- 玄室(棺を安置する部屋)の天井には、巨大な一枚岩が使われている
- 石材には、黒いまだら模様が特徴の飛鳥石(石英閃緑岩)が使用されている
- 隙間なく積み上げられた精巧な石組みから、当時の高度な石工技術がうかがえる
- 玄室に雨水が溜まらないよう排水設備が整えられている
被葬者は特定されていませんが、飛鳥時代の最先端技術を駆使した石室であることから、斉明天皇の初墓説やその他の皇族、有力豪族の墓であると考えられています。
岩屋山古墳を訪れる際は、予備知識がないと「ふーん…」という感じで終わってしまうので(笑)、事前に予習されることをおすすめします。
こちらの専門家による解説動画を見ておくと、現地でその凄さが体感できて楽しいですよ♪
【初心者向け】これ知らないと損!古墳ワード
古墳は「歴史」や「石」が好きな人には大興奮の観光スポットですが、「なんとなく」で訪れる方には味気ない場所になるかもしれません。
基本的な古墳用語を知っておくと、見学がより楽しめますので紹介しますね。
古墳用語 | 説明 |
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【竪穴式石室】 古墳時代の前半(3-5世紀頃)に主流だった古墳の形式。棺を納めたら石室を閉じる。一人用の古墳 【石室】 棺を安置する部屋 | ![]() |
【横穴式石室】 古墳時代の後半~飛鳥時代(6-7世紀頃)。納棺後も玄室へ出入りが可能で、家族の棺を追葬できる。便利だけど盗掘(墓荒らし)のリスクが高い。明日香村のほとんどの古墳が横穴式 【玄室】 棺を安置する部屋 【羨道】せんどう 入口から玄室へつながる通路 | ![]() |
【石槨】せっかく 石室も石槨も棺を納めるスペースのこと。 部屋のように広いものが石室で、収納ボックスのように小さいものが石槨 | ![]() |
【切石】きりいし 板状やブロック状に加工された石 【飛鳥石】 明日香村の石造物によく使われており、黒いまだら模様が特徴。石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)という石で、花崗岩(かこうがん)の仲間。とても硬いので加工が大変 | ![]() |