こんにちは、ネコリテです。
HSPならではの繊細な視点で、旅の体験記を書いています。
今回は645年「大化の改新」とゆかりが深い、奈良県桜井市の談山神社(たんざんじんじゃ)の訪問レポートをお届けします。
2025年の「干支はへび年」は間違い!?
645年に起きた「大化の改新」は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足による蘇我氏討伐から始まりますが、最近の教科書ではその暗殺事件を乙巳の変(いっしのへん)と呼んでいるそうです。
平成前半に学んだ世代にとっては、初耳ワードです。

「〇〇の変」と「〇〇の乱」は、どちらもクーデターのことだよ。2つの違いは、クーデターが成功したら「変」、失敗したら「乱」になるよ
そもそも乙巳(いっし)とは何か?
そんな疑問が今回の談山神社へ行くきっかけとなりました。
乙巳(いっし/きのとみ)は干支の一つで、645年は巳年、つまり「へび年」にあたります。
2025年も「へび年」で、しかも乙巳の変が起きた645年と同じく、乙巳(きのとみ)の年になります。
「今年の干支は?」というと、十二支の動物を思い浮かべていましたが、厳密には「干支」と「十二支」は別物であると知りました。
干支=【十干】+【十二支】
干支とは六十干支(ろくじっかんし)のことで、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせたものです。
【十干/10種類で1セット】
甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)
【十二支/12種類で1セット】
子(ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(うさぎ)、辰(たつ)、巳(へび)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)
【干支/60種類で1セット】
十干は10年、十二支は12年ごとの周期であるため、干支は両者の最小公倍数である60年で一巡しています。60歳の還暦は「干支が一周して、生まれ年の干支に戻る」という意味を持ちます。
有名な干支には次のようなものがあります。
例1:乙巳(きのと・み)→乙巳の変が起きた年
例2:丙午(ひのえ・うま)→この年に生まれた女性は気性が荒いという迷信により、出産数が減る傾向。2026年が丙午になります
例3:甲子(きのえ・ね)→甲子園球場が完成した年
つまり2025年で言うと、
- 【干支】は乙巳(いっし/きのとみ)
- 【十二支】へび年
ということになります。
60年に一度の乙巳、そして「大化の改新」と同じ干支でもあります。
蛇は脱皮を繰り返すことから「復活と再生」を連想させ、乙(きのと)は陰陽五行説において木の弟/木の陰(きのと)と書かれるため、「木が成長していく様子」を象徴しています。
そのことから乙巳の年は、大きな変革や成長のある年と考えられています。
2025年は「大化の改新」と繋がりのある年ということで、実際にその舞台となった場所を訪ねてみることにしました。
談山神社(たんざんじんじゃ)はどんな神社?
大化の改新とゆかりの深い場所といえば、奈良県桜井市にある談山神社(たんざんじんじゃ)。
こちらには中臣鎌足が祀られています。
◆御祭神は中臣鎌足
◆神社の裏にある多武峰(とうのみね)という山は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏討伐に関するミーティングをしていたことから談い山(かたらいやま)と呼ばれ、談山神社の名前の由来になった
◆678年 鎌足公の長男 定慧(じょうえ)和尚によって創建。最初は妙楽寺というお寺だった
◆十三重塔が有名。現存する唯一の木造十三重塔(再建は室町時代)
こちら↑の動画で予習しておくと、わかりやすいです。

裏山の散策コースもあり、見所の多い神社ですが、今回はスケジュールがタイトだった為、以下の5ヶ所に絞って見学してきました。
- 本殿&拝殿 ★教科書に載っている大化の改新の絵巻物が展示
- 十三重塔
- 龍神社
- 東殿/恋神社 むすびの磐座
- 祓戸社(瀬織津姫を含む祓戸大神4柱が祀られている)
一番楽しみしているのは、「乙巳の変」が描かれた絵巻物。

かの有名な「蘇我入鹿の暗殺シーン」です。
教科書にも衝撃的な場面として掲載されており、印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
このシーンに関して、2つの疑問がありました。
リアルタイムで勉強していた頃は深く考えませんでしたが(笑)、大人になって興味を持つと、細かいことが気になってきます。
調べてみると、実際に入鹿の首をはねたのは中大兄皇子でした。
本来は別の刺客が実行する予定でしたが、近くで待機していたもののなかなか動かなかったため、中大兄皇子自ら斬りかかったそうです。

そして奥に居る女性は、当時の天皇であり、中大兄皇子の母でもある皇極天皇(後の斉明天皇)でした。

斉明天皇は、歴代の天皇の中で初めて2つの重要なことを成し遂げた人物だよ。
① 重祚(ちょうそ):同じ人物が2度天皇になることで、1度目は「皇極天皇」、2度目は「斉明天皇」として即位したよ
② 生前譲位:それまで天皇の位は崩御後に引き継がれるのが一般的だったけど、乙巳の変の後に弟へ譲位したよ
押戸石の丘をきっかけに斉明天皇に興味を持ち、さらに偶然関心を持った「大化の改新」ともつながりが見えてきたことで、バラバラだった出来事が一つの物語としてつながっていく感覚になりました。

駐車場と混雑状況
ではここから、実際の訪問レポートをお届けします。
訪れたのは3月上旬の週末、午前11時頃。
談山神社は紅葉の名所としても知られ、紅葉シーズンと初詣にはかなり混雑するようです。
平常時はどのくらい混み合うのか心配していましたが…

駐車場はご覧の通りガラガラで、とても落ち着いた雰囲気でした。
閑散期だからなのか、第1駐車場(無料)と第5駐車場(有料)以外の駐車場は閉鎖されていました。

今回利用した第1駐車場は広く、停めやすかったです。
料金は乗用車が無料、バスは有料となっていましたが、紅葉シーズンは乗用車も有料になるようです。
ここから境内入口までは徒歩5分くらいでした。
境内の混雑状況が知りたい方は、こちらのライブカメラで確認することができます。
本殿と拝殿(絵巻物展示)
談山神社へ入るには、拝観料600円がかかります。
神社は無料で参拝できる場所だと思っていたので、初めての有料に驚きました。
観光地にある有名なお寺は有料であることが多いので、こちらも元は妙楽寺というお寺だったことを考えると、拝観料はその名残なのかもしれません。

正面入口で拝観料を払うと、ビニール袋と境内マップがもらえます。
ビニール袋は拝殿(絵巻物が保管されている所)へ上がる際、自分の靴を入れるために使用します。
長い階段を登っていくと、拝殿が見えます。

そして拝殿と隣接して、立派な楼門が構えています。

「拝殿・楼門・本殿」が一体化した造りになっていました。
ちなみに今回は犬連れでの参拝だったので、受付でペット禁止エリアなどを確認したところ、小型犬は抱っこすれば拝殿へ見学可能とのことでした。

拝殿の内部はこんな感じで、

ここから本殿へ参拝するようになっていました。

室内で参拝する神社は初めてで、なんとなくお寺っぽさを感じました。
参拝後にお目当ての絵巻物を探していると、中臣鎌足の掛け軸を発見。

鎌足公の息子たち、藤原不比等(藤原氏の権力基盤を築く)と定慧和尚(談山神社の前身・妙楽寺を創建)も描かれていました。

中臣鎌足は藤原氏の祖で、亡くなる直前に天智天皇から藤原姓を与えられたよ。
ちなみに、中臣氏の祖神は天児屋命(アメノコヤネノミコト)という、天照大神が岩戸に隠れた際に活躍した神様。そこから天児屋命は「藤原氏の繁栄」と結びつき、出世をもたらす神として信仰されるようになったよ
そしてついに、念願の絵巻物とご対面!

しかし…

あれ??
「乙巳の変」のページじゃない。
拝殿内を探し回りましたが、絵巻物の展示は1箇所のみでした。
授与所(お守り等が売っている所)で尋ねると、絵巻物の公開されるページは時期によって変わるそうで、残念ながら「乙巳の変」の実物は見ることができませんでした…。
今回公開されていたのは、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのシーン。

蹴鞠(けまり)の最中に中大兄皇子の靴が脱げ、それを中臣鎌足が拾ったことが、二人の出会いのきっかけとなりました。
その様子を見て笑う蘇我入鹿。
まさに、乙巳の変へとつながる重要な伏線となる場面です。
ちなみに蘇我氏の親子3代、「誰が何をしたんだっけ?」と記憶があやふやだったので、わかりやすくまとめてみました。

【馬子】:聖徳太子と共に政治を行う。日本最古の本格的な仏教寺院「飛鳥寺」を創建。この飛鳥寺の「蹴鞠の会」で中大兄皇子と中臣鎌足が出会う
【蝦夷】:乙巳の変で入鹿が暗殺された後、自宅に火をかけて自害。その際に「国記」「天皇記」という聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書も焼失したとされる
【入鹿】:天皇を上回る権力を持ち、横暴な振舞いを続けたことで、乙巳の変で暗殺される。しかし最近の研究では「蘇我氏ってそこまで悪いことしてないかも?」という説が浮上
十三重塔、龍神社、東殿(恋神社)、祓戸社

絵巻物以外で見学したのは、こちらの4ヶ所でした。
- 十三重塔
- 龍神社
- 東殿/恋神社 むすびの磐座
- 祓戸社(瀬織津姫を含む祓戸四神が祀られている)
十三重塔

十三重塔は定慧和尚が父・中臣鎌足の供養のために建てたもので、現存する世界唯一の木造十三重塔。
神社なのに塔があるのは、神仏習合の名残ですね。
室町時代に再建されて以来、約500年の歴史を重ねてきた貴重な建造物です。
今回は枯れ木の季節でしたが、新緑・桜・紅葉の時期には、さらに美しい写真が撮れそうです。
自撮り用の写真スタンドも設置されていました。
パワースポット「龍神社」

飛鳥時代よりずっと以前の古代信仰が残る霊地です。
古代信仰といえば巨石・磐座(いわくら)・龍神など、私の好きな分野♪
この場所は大陸から入ってきた龍神信仰と日本の水神(たかおかみの神)が合体し、「龍神社」と呼ばれるようになったそうです。
縁結び「東殿/恋神社」

拝殿の近くにある東殿は、「恋神社」とも呼ばれています。
こちらには、鏡王女・定慧和尚・藤原不比等が祀られています。
鏡王女は天智天皇の妃の一人でしたが、中臣鎌足と想い合う仲でした。
そのことを知った天智天皇が彼女を鎌足公に譲り、正妻となったと伝えられています。
その後は鎌足公から大切にされ、後に藤原不比等という優れた子をもうけました。
こうした伝承から、恋神社は縁結びの神様として信仰されるようになったそうです。
開運・厄除けスポット「祓戸社」
「蹴鞠の庭(けまりのにわ)」にも自撮り用の写真スタンドが設置され、こんな景色が撮れます。

蹴鞠の庭は、中大兄皇子と中臣鎌足が「蹴鞠会」で出会ったことにちなんで名付けられた場所です。
実際に二人が出会ったのは「飛鳥寺」の蹴鞠会でしたが、この庭では年に2回「けまり会」が開かれ、一般の方も装束を身にまとい、蹴鞠を体験できるそうです。
蹴鞠の庭から下りた場所には、小さな池があります。

この橋を渡った先にあるのが…

祓戸社(はらえどしゃ)です。
祀られているのは、祓戸大神(はらえどのおおかみ)。


祓戸大神は一人の神様ではなく、別名「祓戸四神(はらえどよんしん)」と言い、お祓いの神様たちのことを指します。
4柱の神様が分業制で、この世の穢れを浄化していると伝えられています。
- 【瀬織津姫/セオリツヒメ】水の神様。穢れを川から海へ流す
- 【速開都比売/ハヤアキツヒメ】海へ流れてきた穢れを飲み込む
- 【気吹戸主/イブキドヌシ】海原の風神。速開都比売が飲み込んだ穢れを根の国・底の国(死者の世界や霊界)へ息吹を放つ
- 【速佐須良比売/ハヤサスラヒメ】根の国・底の国に届いた穢れを持ってさすらい、消滅させる

祓戸大神は古事記や日本書紀に登場する神々とは異なり、神職が神様に奏上する祝詞(のりと)の一種である「大祓詞(おおはらへのことば)」に記されている神様です。
そのため、広く知られているわけではありませんが、4柱のうち特に瀬織津姫は、神社好きやスピリチュアルに関心のある方々から人気を集めています。

大祓(おおはらえ)は、神社で6月と12月に執り行われるお祓いの神事だよ。夏の大祓で設置される「茅の輪」は、季節の風物詩として有名だね

以上、談山神社の訪問レポートでした。
神社だけどお寺っぽさを感じたり、古代信仰、お祓い、景勝地としての要素もあり、盛りだくさんに楽しむことができました。
オフシーズンは週末でも空いているので、人混みが苦手なHSPさんも過ごしやすいと思います。